ざっくり納得法華経のすべて

第7章

お釈迦さまとのつながり

化城喩品

【けじょうゆほん】

さきの第6章授記品は、「我および汝等(なんだち)が宿世の因縁、われ今まさに説くべし、汝等善(よ)く聴け」という、お釈迦さまの言葉で結ばれておりました。

第3章譬喩品から第6章授記品にわたって、「開三顕一」の教えの内容を、譬喩を用いて説かれてきたお釈迦さまは、すべての者を漏らすことなく救いとるため、ここからさらに重ねて“因縁”をもって、この「開三顕一」の教えを詳しく説かれていきます〈第三因縁周〉

「化城喩(けじょうゆ)」*1というタイトルに表れているように、この章においてもお釈迦さまは巧みな譬喩をもって、みなを仏となすという大慈悲のこころを説かれておりますが、「宿世(しゅくせ)」という、過去世からのお釈迦さまと私たち衆生との“つながり〈因縁〉”が明かされていくのが、この第7章化城喩品のテーマとなります。

大通智勝仏の世~三千塵点劫の過去~
過去の世に、大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)という仏さまがおりました。

今日のお釈迦さまより、はるか遠い久遠の昔にさかのぼります。

「三千塵点劫(さんぜんじんでんごう)」といわれる、そのきわめて長い時間を、お釈迦さまはこのような譬えをもって述べられています。

三千大千世界*2を磨(す)って墨とし、これをもって東の方に向かい、千の国土を過ぎては一点を下し、また千の国土を行っては一点を下していきます。そのすべてを下し尽くしたのち、経過してきたあらゆる世界をことごとく微塵にくだき、その一塵を一劫という時間の単位とします。大通智勝仏が入滅してから今日まで、その塵の数をはるかに超える無量・無辺・百千万億・阿僧祇*3劫の時間が経っているというのです。

このような想像を絶するはるか遠い過去のことを、お釈迦さまは今日のことのように語られていきます。

十六人の王子
この大通智勝仏には、出家する以前に十六人の王子がおりました。

王子たちは父王が仏となったことを聞き、父を慕いやってきて、「どうか法を説いてください」と願い出ます。

この十六王子や十方からやってきた梵天たちの要請を受け、大通智勝仏は、まず四諦・十二因縁の法を説かれました。

この教えを聞いた十六王子は出家し、沙弥(しゃみ)となって、さらにみなが仏となる要法を求め、大乗の法を説くことを懇願します。

大通智勝仏はその要請を受けて法華経を説き、十六人の沙弥は、この法華経の教えをことごとく信受しました。

大通智勝仏が法華経を説き終え禅定に入られるや、菩薩となった十六王子は、仏にかわって人々のために法華経を説き、多くの衆生を救い、仏となる心を発(おこ)させました。

十六菩薩はその後、仏となって十方に浄土を構え、現在にわたって人々を導き教化されているというのであります。

お釈迦さまと私たち衆生とのつながり~大通結縁~
この第十六番目の王子が、現在法華経を説かれているお釈迦さまであります。

この娑婆世界で仏となってから、常に願ってずっとここで衆生を教化されてきました。

いまこの霊鷲山においてお釈迦さまの説法を受けている人々をはじめ、この娑婆世界のすべての衆生は、三千塵点劫の昔から、みなお釈迦さまと深いつながりをもっていることが明かされているのです〈これを「大通結縁(だいつうけちえん)」と呼んでいます〉。

十六王子の中には、西方において仏となり、極楽浄土を構えている阿弥陀仏もおられます。しかし、この娑婆世界に生まれた私たちは、この世界で仏となり、この世界の衆生を導かれているお釈迦さまと深い縁に結ばれており、この世界の衆生で他の世界の仏さまと縁のある者は一人もおりません。

大通智勝仏の十六王子より法華経を聞き、縁を結んだ者は、必ず常にその仏さまのもとに生まれ出てくるのです。

この娑婆世界の教主はお釈迦さまであり、お釈迦さまこそが私たちの師であり、親であります。そこを離れて、縁のない西方極楽浄土の教主である阿弥陀さまを頼っても、そこに私たちの救いはないのです。

三益
法華経では、これまでに、仏さまが世に出現される「一大事因縁」や、釈尊御一代の教化の次第・御意図が明かされてきました。この第7章では、さらにその上に、限りないはるか昔からの、お釈迦さまの大化導の因縁が明かされたのであります。

お釈迦さまのその教化活動の始めから終わりまでの、化導の始終は、下種・生育・結実の三の利益に譬えられ、「種・熟・脱(しゅ・じゅく・だつ)の三益(さんやく)」と呼ばれています。

大通智勝仏の第十六王子(お釈迦さま)の法華経を聞き、仏の種が下され〈下種益〉、今日に至るその中間において生育・調熟し〈熟益〉、今日お釈迦さまにあい、法華経を信じて仏となっていく〈脱益〉のです。

たとえ、途中で退転して長い間迷い悩み苦しんできたとしても、この法華経を聞いた因縁が朽ちることは決してありません。いつかは必ず仏となるお釈迦さまとの深い大きなつながりが私たち衆生にはあるのです*4。

 

注釈

*1
法華経に説かれる譬えの中で、「法華七喩(ほっけしちゆ)」に数えられるたとえ話の第四番。
法華七喩
譬喩品第三―――――三車火宅(さんしゃかたく)の喩え
信解品第四―――――長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え
薬草喩品第五――――三草二木(さんそうにもく)の喩え
化城喩品第七――――化城宝処(けじょうほうしょ)の喩え
五百弟子受記品第八―衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え
安楽行品第十四―――髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の喩え
如来寿量品第十六――良医治子(ろういじし)の喩え

*2 三千大千世界(さんぜんだいせんせかい):宇宙全体を意味します。

*3 阿僧祇(あそうぎ):無数と訳し、数えることのできないほど大きな数を表しています。

*4 じつは、いま、お釈迦さまのもとで法華経を聞き、それを信受して授記された舎利弗等も、途中で法華経の信仰を捨てて退転してしまったものの一人でありました。それでも、このお釈迦さま・法華経とのつながりは失われることなく、いまようやく機が熟し実を結んだのであります。

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