ゼロから学ぶ日蓮聖人の教え

雨を見て竜を知り、蓮を見て池を知るべし

宿屋入道再御状

【やどやにゅうどうさいごじょう】

文永五〈1268〉年。当時の世界最大級の国家であり、侵略の猛威をふるっていた元*1から日本へ、従属を迫る国書が届きました。このことを日蓮聖人は、九年前の文応(ぶんおう)元年〈1260〉に鎌倉幕府に提出した『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』〈以下『安国論』と表記〉の中で予言した「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)」の実現と捉えました。

そこで聖人は、今度こそ『安国論』を用いるよう各所に働きかけをはじめます。『安国論』を清書し直して『安国論副状(あんこくろんそえじょう)』を添えて幕府に再提出した上、『安国論』の趣旨や意義を分かりやすく解説した『安国論御勘由来(あんこくろんごかんゆらい)』を執筆なさいます。さらに聖人は、かつて『安国論』を幕府に提出した際、その取り次ぎを行なった要人・宿屋左衛門入道(やどやさえもんにゅうどう)にも何通もお手紙を出されました。そのうちの一通が、今回取り上げる『宿屋入道再御状』です。

宿屋入道の腰はなかなか重かったのか、この『宿屋入道再御状』は「先月もお手紙を差し上げましたが、お返事を頂けず、悲しんでおります〈今月に至るも是非に付けて返報を給わらず。鬱念を散じ難し〉」との言葉ではじまっています。そして、「もし本当に元の軍隊が攻めてくれば、『安国論』の忠告を知りながら対処しなかった貴方の責任にもなる」と諫(いさ)め、「自分は身命を捨てて国恩を報じたい一心であり、自分の利益のために諫言(かんげん)をしているわけでは決してない」と述べています。

さらに、天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)の『法華文句(ほっけもんぐ)』にある「雨を見て竜を知り、蓮を見て池を知る」との文を引き、ものごとには何につけ前兆があり、その前兆を見ればこれから起きる一大事を知ることができる、事態は急を要するのだ、と念押ししています。*2

当時の切迫した状況の伝わってくる、劇的な文章です。

 

注釈

*1
中国王朝の一つ。モンゴル帝国第5代の世祖フビライが建てた国。南宋を滅ぼし、高麗・吐蕃(とばん)を降し、安南・ビルマ・タイなどを服属させ、東アジアの大帝国を建設。都は大都(北京)。11代で明の朱元璋に滅ぼされた。大元〈1271-1368〉〈広辞苑第6版参照〉

*2
「雨から竜を知り、蓮から池を知る」とのフレーズは、主著『開目抄(かいもくしょう)』にも引かれています。

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